2013年8月31日土曜日

類型妄想

左脳右脳論と同じく、血液型、文系理系、直感型論理型の類型論はすべて都市伝説であり妄想である。人間は単に分類が好きなのである。意識の情報処理のバンド幅が極端に小さいことに起因していると推測される。たくさんの要素を把握するためには、分類して要素数を少なくする必要があるからだ。

分類自体はいいとして、問題は、その分類と直接因果関係のない「性格」などをひもづけるというところである。合コンの「つかみ」として使うなら罪のない話だが、人事や合格選考などで使われるとしたら、間抜けとしかいいようがない。しかし、この問題も結局どちらの選択をしても結果的に差はなく、合理的な選択などありえないようなときに、迷う時間を減らすために役だっているとしたら、目くじらをたてるほどのこともない、という大人の意見もある。

敵に捕食されそうになった個体が、右に逃げるか左に逃げるか迷っているうちにやられてしまうより、たとえ悪い結果になったとしてもどちらかに逃げるべき、というような状況を考えればわかりやすいだろう。つまり、迷って判断が遅れること自体が害悪をもたらすのである。

もちろん、敵は捕食者ではなく、逃げたことで落下して死んでしまうという状況もありえるだろうが、確率的に逃げた個体が助かる可能性が高いことは直感的に納得されやすいところだ。

チーム分けを行うことで、敵味方をつくり、競争原理が働いて全体として学習や仕事が進むというのははるか昔から応用されてきた政治的手法である。そして、この分類はまったく根拠がなくても問題はない。しかし、根拠ある(ように感じられる)ストーリーが背景にあると、士気があがることが多い。

血液型は、血液の種類の差が脳や体全体に影響を与え、結果それが性格に影響を及ぼす、というストーリーは科学的な根拠がなくても(血液分類はAB以外にももっと複雑な要素があるので、ABだけでは無意味であるのは明白)、それなりにもっともらしく響かないだろうか。

子供だましの度合いが強いのは、直感型論理型の類型で、これは根拠もなにもなく、「君は直感的だから直感型で、あの人は論理的だから論理型」という同語反復のトートロジーでしかない。ストーリーもロジック何もない。直感型だからロジックは不要です、という冗談ならそれはそれでいいのだが。

類型妄想は、すでに日本の文化として社会に受け入れられている都市伝説なので、あえて異を唱えるつもりはないが、本当に本気でそれを信じているとしたら、ちょっと頭を冷やすべき時もあるでしょう、ということでいかがでしょう?

動物占いも、星座も、干支のたぐいも同様。使うのは合コンやキャバクラに行ったときだけにしていただきたく。

ちなみに、ストーリーがあると納得されやすい、記憶されやすいというのは、分類と同じくストーリーにも情報を圧縮して把握されやすくする、という効果があるからである、と自分は考えております。